原作でも名編の呼び声の高い回です。
CLAMPとしてはそれ程複雑な話じゃないんですが、やっぱり詩情は圧倒的ですよね。
それにしても、ccさくらとかもそうですが、都会であって且最初に四月一日と女の人が会話をしていた森とか公園とか、ああいういい自然が残っているのはずるい?と思うんですよね(笑)
実際でもああいう都市計画で街を作って貰いたいものですよね。
美しくも哀愁漂う逢引映像が終始素晴らしかったですね。
百目鬼が管狐を持っていく事を強く推奨していますけど(アニメ版では二度目も駄目押しした)それでも四月一日が管狐を持っていかないのは、持って行ってしまえば逢えない事を知っているからだと思われます。
ということは、自分に対してその人が必ずしも良い影響を発揮するとは限らないことを、既にこの時点で知っていたという事であって、それでも逢う四月一日の優しさと不幸体質が余す所無く表現されている所が秀逸です。
それにしても、侑子さんの「気をつけてね」って殆ど呪いの言葉にしか聞こえないんですけど(笑)
滅茶苦茶冷たい感じですけど、そういう物言いをされる理由を考えますと侑子さんは
①あんまり運命を教えると対価が必要。
②運命は運命だから心配しても仕方がない、それにあんまり心配するとそれを悪戯に乱してしまうことにもなる。
③最後は四月一日が決めることだしその決断を信頼している(し駄目だったら駄目で仕方がない)
といった考えの結果、あのような突き放した感じの物言いをしているのだと推測されます。
でも、この人予測出来ないことも有りそうだし、干渉することもあるので、何を基準に行動を決めるのか完璧には分からない所が、謎めいていますよねぇ。
相変わらずのホモシーンで四月一日が顔を赤らめていましたけど、百目鬼なら背中に背負ったのではなく、お姫様抱っこで運んだのではないかと妄想してみる。
しかし、原作を丁寧になぞって二回かけて作ってくれるとは、アヤカシ研究会の人は本当に分かっていますねぇ。
第二シリーズがあったら佳境の連続ですけど、必ず作ってもらいたいですね。この調子なら相当良いアニメになることは間違い有りません!
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