崖の上のポニョ その2

前に感想を書く時に、解釈しすぎかな、と思って書かなかったんですけど、書いて置きます。既出かも知れませんが(^_^;)

以前、村上隆さんが新聞で、芸術家は時代を読んで作品を作っている。それは宮崎駿さんも例外ではない。という事を言っていましたが、そう言われれば、ナウシカやもののけ姫の頃は、環境という言葉が、今みたいに胡散臭い風味を帯びていませんでしたし、トトロの頃はああいう原風景を懐かしんでいた人、懐かしめる世代が多かったような気がします。千と千尋の頃は、癒しや自分探しといった言葉が流行っていました。

では、ポニョの時はどんな風潮が社会にあったかといえば、世も末的な雰囲気があったのではないかと思います。
経済危機以前から、例えば野口武彦さんは中央公論で日本を幕末に例えていましたし、サンデーモーニングではローマ帝国末期に例えていた人がいましたけど、宮崎監督もそういう社会の空気を、敏感に感じ取っていたんじゃないかと思うんです。
そして、末期というからにはカタストロフィを迎えるわけで、それが洪水の表現になったんだと思います。

更に洪水が終わると色々出てくるわけですが、そこでは大漁旗が掲げられていたり、軍歌の様なBGMが出てきたり、時代がかった敬礼をしていたりしました。これは宮崎監督が、破局後の社会状況として、ある種の自由さがあった、戦後間もなくのような状態を想定、もしくは望んでいたのが表れているんだと思うんです。(軍歌は戦後も良く流れていたそうです)

こういう考えを歴史的に見ると、宮田登「民俗学への招待」によれば、安政大地震の時には、壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、「庶民が大地震を「世直し」と言い表してい」たそうで、「世直し鯰」と呼ばれていたそうです。また同氏の「地震ナマズと都市伝説」という文章によれば、このことは「大地震と云う災厄が、地底の大鯰によってもたらされ、次の段階で世直しが生ずると云う民俗信仰をよく示している」とのことで、ポニョの洪水のくだりは、この信仰の現代的な表れだったのではないでしょうか。
大漁旗が掲げられていたのは世直しのしるしだったのだと思います。

勿論宮崎監督は、物理的な災害を想定していたわけではないと思いますし、現実では、カタストロフィかどうかは分かりませんが、世界金融危機が起きました。
洪水の後、宗介は被災した「昭和30年代風の古風ないでだち」(Wikipediaより)の婦人とその子供にハムサンドを分けてあげます。
今後日本は、「ポニョ」でそうだったように、危機に助け合う「災害ユートピア」的な連帯を経て、朗らかな復興へ向かってい、、、ったら良いですねぇ。。

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