世界を変える欠片が人の世では「想い」のかたちをとる、というのは阿頼耶識説(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98)の妖しい部分を思い出させるような話ですが、あの一部でオカルトじみて解釈される理論も、実はこういうある種単純でまっとうな「人の想いの力」みたいなことを指しているのかもしれませんね。
祭囃子編より更に理想を求めるとどうなるか、ということを考えて作られたシナリオの様な感じですが、アクシデントということの本質を考えさせられる話でもあります。
人を塩に例えたのはキリストさんですが、アクシデントと言うのはそれだけですまない事を前提に言えば、やはり人に対する塩のような役割を果たしているのかもしれません。
コメント