ひぐらしのなく頃にという作品の美徳は、実はパズル的な要素が少ないという所に有ると思います。ロジカルな思考ではなくより直感的な作業を要求するので、通常の推理ゲームより、より人間的な(良い意味で動物的な(笑))楽しみ方をしやすいと思うからです。散らばらされた鍵は勘違い等で否定されてしまうものが多くて意味を持たないことが多くあります。それに対して抽象的な法則・思想は核心にあってそれは変わることないので、連作によって徐々に焙り出されることになり、それによって解としての意味さえも持つ(作者の指定によって持たされる)ようになります。
その核心の思想は良き連帯の賛美と殺人の否定(あれだけやっていて微妙ですけど(笑)エンターティメントにおける殺人は肯定される面も有るのでしょうね)スケープゴードを立てた連帯の否定、罪を憎んで人を憎まず(といいますか、罪というものが多くの人が思うほど純粋に人に帰せられるのかという事を発議しているように思います)やそういう考えも基にした禊への肯定、罪を犯すことがその人にとって不幸であるという事とそれを止める事に対する賛美(よって昭和58年の綿流し前後に罪を犯す人間が居るとそれだけでハッピーエンドにならないので、梨花が生き残るのと並んでこれがこの作品の終わりにおける最も高ハードルであった)等があります。
思弁哲学的というより宗教的で、生な現実において核心的な考えが主張の中心に有る、というのも一つの特徴だと思います。
武術の側面から見てみると最後の罪を犯させない事を重要視する考えは、植芝盛平さんが宣教師にキリスト教と合気道は似ていると言われて「なるほど、ただしちょっと違う点があります。聖書は人が右頬を打ったら左頬も提供するでしょう。だけど合気道では人が打とうとする手が来る前に避けて、こちらが被害者にならなくて、相手にも罪を犯させない」といったのと近い内容だと思います。この言葉の内容の具現が祭囃子編のおしまいだったわけで、最後の最後で魅音の合気道がでてきたのもむべなるかなといった所です。
最後の白兵戦が魅音の回転投げ(や空気投げ)で決着が付いたのも実に象徴的です。回転投げは合気道をやっている人の中でも、実践で使った人間は一人も居ないんじゃないか、としばしば笑い話にされる技なんですが、もしかしたら相当強力な合気が使えたら成立する技なのかもしれないので、虚構と理想の交わる所に有る感じがひぐらしっぽいです(笑)
養神館と実際に有る団体名が出てきたのも面白かったです。皇武館は合気会の事なんでしょうけど、皇武館時代の合気会は容赦ないんですけどね(笑)むしろ合気会には養神館よりかはわかりませんが、当時を知る古老が多くて熱心に実践的な技を一部の人間に教えていたりもします(笑)
(追記、赤坂や魅音の格闘の描写についてリアリティを欠くとの指摘が多いですが、武術界にはそれと比較にならない程のぶっ飛んだ逸話が沢山有ります。それを話半分・・・いや、話一割位で聞いても、極めて僅少では有りますが赤坂の様な空手家や魅音ほどの筋力体格で合気の真髄を示した武術家は居たと考えています。よって雛見沢症候群の様な精妙な活動をする寄生虫の存在や、その他の多くの矛盾点に比べて、リアリティを損ねるという観点から見て殆ど問題のない描写だと私は思います)
とはいえ構成に関しては疑問を感じる所も多かったです。一つは、未知の薬物、謎の祕密結社と特殊部隊、自衛隊による一村を壊滅させる作戦の存在(滅菌作戦)、神様、ループ、主人公の錯乱による推理対象となっていた多くのシーンの実質的消失、検死結果の誤り、等反則技ともいえる数々の手段を駆使したにもかかわらず(駆使したが故に)物語に結局辻褄が殆ど付いていない事です。悟史の殺人その他に対する梨花の静観、雛見沢症候群を患った人を追跡する羽入の行動の不可解、富竹さんを(以下省略)etc、超常現象が含まれる作品だとは最初から聞いていましたし、鬼隠し編のお疲れ様会でも匂わされていましたので、超常現象も含めて考えて(茫洋と見て(笑))いたのですが、辻褄が合わないのは予想外でした。推理が成り立たないと一般に言われる所以で、リアルタイムでゲームをなさっていた方は本当にかあいそかあいそだと思います。
ルールX,Y,Zを当てるゲームだと宣言するのも遅かったです。途中でゴールをすりかえられた様な物で、最初から売り文句を「隠然たるルールを当てろ!」であるとかにするべきだったと思います。しかもルールXの発生のタイミングの必然性等等は未だに原因不明です。キリが無いのでここら辺で止めますけど・・・。
とはいえ、宣伝方法ロジック等等を気にしなければ、感情描写とかはとても優れている作品だと思います。平和なシーンが好きな身にしてみれば、前半に多く置かれた平和なパートだけで身銭を切った価値は十二分に有りました。皆殺し編の圭一の演説シーンや祭囃子編の大石さんと茜さんの遣り取りなんかは素晴らしいと言うより他有りません。
語らせると乗ってくる、といいますか作者はやっぱり前原圭一っぽい気質の所がありますよね。思想的な主義主張を中心に外郭として物語を構築していく手法はCLAMPの大川総帥を思い起こさせます。
それにしてもやっぱり一番面白かったのは、場面場面とそれに応じた見事な音楽です。それを生かしきったひぐらしの形式は魅力的だなと思いました。
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