東京BABYLON・1

(注意、推測に満ちたマニアックな考察です)

クランプ先生の傑作といえばこれです。最初に読んだ時は午後いっぱいかけて一日で立ち読みしたのでした。思えば豪華な時間でございました。ナンマイダ、ナンマイダ(何故)

この度、腰をすえて感想を書くために700円で全巻購入すべくbookoffへ赴いたのですが、引越しの前ということもあり、かさばるので決断できませんでした。(断じてけちなのではない)

この度、東京BABYLON(及びX)の物語上の疑問で、なんとなく自分が思っていた事や、人が言っていた事に関して、脳内で補完してみようと思いました。

Q.何で昴流は星史郎さんを怪しいと思わなかったのでしょうか?

(脳内補完)A.「星史郎さんが有る意味本当に優しかったのが原因」の一つだと思います。

この物語の急所は桜塚星史郎という男の人格にあります。
私が思ったのは豹変前と後で実はあまり性格が変わっていないのではないかということです。

豹変後も結構優しいんですね。

中野では昴流がタバコを吸っているのを見て健康を気遣っているし、封真にタバコを勧めるときに未成年であることに気を使ったり。

これが桜塚星史郎の問題な所で彼の優しさは本物なんだと思います、実は心の有る無しと優しい人間かどうかは直接的に関係が無いと言う事があります。

困っている人を見て心が痛み、その人を助たいと思う。

これは昴流のパターンですが、こういうのは勿論優しさです。

しかし、優しさというのはこのパターンだけではなくて、世の中には癖の様に人に優しくしてしまう人がいるんですね。

いわゆる手癖というやつで、物を見るとつい盗んでしまうとか、女の子を見ると条件反射的に口説いてしまう、といったものと同じと言えます。

星史郎さんはこれのつい人に優しくしてしまうヴァージョンだと思うのです。

つまり彼の丁寧な物腰や言葉遣い、気配りといったものはその時々で演技したものではなく、あるいみ彼の人格から滲み出たものなのだと思うのです。

何故これが問題かと言うと、見抜けなくなってしまうというのがあります。

その時その時で意図的に演技している人なら分かると思うんです。敏感な昴流なら。

でも、そうではなく、あくまで無意識の動作だからから、これは本当に優しい人だと思ってしまったんだと思うんです。

また、優しいなら自分と同じ思考回路で人に優しくしているはずだと考えたかもしれません。

星史郎さんがある意味本当に優しかったので、その優しさが心から出たものでなかったことを見抜けなかった。

これが昴流が星史郎さんに気を許してしまった最大の理由ではないかと思います。

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