やっぱり前回のネヴィリルがアーエルの部屋に来たのは駆け落ちの誘いだった事が判明しました(笑)ネヴィリルを見ていると人は一度に何人でも好きになれるように出来ているというのが良く分かります。その事自体は自然な事なので、重要なのは現実とどういう態度をもって折り合いをつけるかですよね。今回のネヴィリルの態度は・・・どうなんでしょう。開き直っているのと、掴み所が無いのと、好きの違いを匂わせる感じはなんとなく感じ取れました(笑)
カイムとアルティの描写が俄かに増えましたけど、やっぱり今一キャラクターとして味の薄い2人ですので、出番が増えたのはお愛想な感じがします。それにカイムの声優さんはやっぱりあんまり上手くないと思うんですけどどうでしょう。特徴は有るんですけど・・・。
しかし、コール・テンペストの解散は事実上の武装解除ですよね。この後大丈夫なのかなぁ~。
ユンの足取りの時系列が今一把握しきれないんですよね(笑)なんとなくは分かるんですけど。
オナシアを抱きしめる下りは、怨靈浄霊系の話を思い起こさせました(笑)それにしても彼女はオナシアの跡を継ぐんでしょうか。
オナシアの話は現代社会のモラトリアム(特に女性)の在り方に関係する事だと思いますので、そう捉えてその事について意見を言ってみようと思います。(以下長いので反転)
どっちも選ばないと朽ちてしまうというのは、男性的に生きるか女性的に生きるか選ばないでそのままだと何もしないで人生が終わってしまう事の暗喩(翠玉のリ・マージョンで飛んでいけばそうならないで済む様ですが、あれはイレギュラーな逃避行的な意味合が強いと思います)だと思うんですけど、世の中には(特にお金に余裕の有る人には)結構どっちつかずに一生を終えて、ああ、幸せでした、っていう人も多いんですよね。
こういうのは社会貢献云々といった社会的正義の問題としても扱われますけど、それらは立場によっては理に反して社会的に適用されない事も有ります(笑)
端折って私の所感を述べれば、生活が有為でご飯が食べられれば後は基本的に自由。オナシアのような生き方をするのも有り得るし、それで何かしら結果を残す事も出来ると思うんですよね。
つまり何が言いたいかと言いますと、このアニメではオナシア的な中間的な生き方を貫く事が過小評価されいるのではないかという事です。どっち付かずの生き方が批判されるとしたら、真摯でないか、お金の問題のみだと思います。
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