借りぐらしのアリエッティ

行って参りました。美術やアクションは綺麗だったんですけど、ストーリーはあんまり共感できなかったですねぇ。
スタジオジブリの代表作は、今回上映の一番最初にも出てきたトトロだと思うんですけど、トトロにあった自然に対する畏れや境界を侵してはいけないといった感覚、異なるものに対する尊敬、といったものが一切無いんですね。
ずかずか平気で入っていきますし、すぐ捕らえにかかるとか、やっぱり尊敬が無いんですよね。
テレビでヨーロッパのテレビ局が作った森の原住民のような人たちの特集をやっていたことがあって、原住民を観察するぜ、じゃないんですけど、そういうのりで嫌な気分になったことがあるんですけど、それをそのまま引き写したような物語だったと思います。
日本のウルルン滞在記ですとかは、放送されている所に限っていえば、そういう違和感は感じないんですよね。

アリエッティも可愛いんですけどね、同族以上に少年と心の交流を深めていく所とか、そういう枠組の中で期待されるような動きをするから、途中から余り共感できなくなりました。

キリスト教文明と自然との邂逅、といったものが底流に流れているテーマだと感じました。
アリエッティは闊逹で純朴であって、そこにはある種の美しさがある。
巨大で心臓病を患っている少年は、キリスト教文明の姿に僕には見えるんですよね。
アリエッティに君たちは滅びる種族だ、と宣言するわけですが、わざわざ話しかけるその心情には、キリスト教文明の強力さと、それに対する心の奥の疑問、小人達の闊達さに対する羨望が読み取れるのではないかと思います。

大きさも対照的ですけど、トトロの正反対の思想の作品といえる感じで、この作品を作りたいという宮崎監督の中で、何か心境の変化があったんですかね?

少年の心臓病は恐らく、キリスト教文明が抱える病に他ならず、全快の道のりは険しいかもしれません(予想

毎度、好きな文章なので引用しますと、白川静さんによると
「人間が自然の上位に立ち、これを征服するという西洋的な自然観の弊害が、極点に達しつつあるような現代において、わが国が古代より持っていた自然に対する畏れの感情は、かえって究極的な人類の叡智ではないか、と私は考えています。中国ではこれを「天人合一」と呼ぶ」(桂東雑記Ⅳ233ページ)
とのことで、これに類する価値観の相違がトトロとの間にあるとおもいます。

また「古代の文化において(中略)何らかの信仰がその技術をよび、それを支えているのである」(漢字の世界Ⅱ 平凡社ライブラリー版191ページ)とのことで、古代において精神文化が技術の基盤になっていた、という事を書かれているのですが、これは現代でも当てはまることでしょう。
戦後の日本のもの作りは、長い職人文化に支えられてきましたし、猿学の強味ですとかも日本の文化と切り離せません。
また、江戸時代がリサイクル社会で、乱開発もしなければ、桜の手入れにまで行き届いていた、ということがいわれますけど、これは西洋的な意味でのエコロジーだったという訳で無く、こういう文化に支えられていた、自然な姿だったわけです。

これからは日本も美しい環境を保っていくべきですが、そのためには真の美人のように、見えないところから美しくなる必要があるのではないでしょうか。
石油依存からの脱却、産業構造の転換というときに、こういったものを思い出すことで、非常に腰の入った形で、環境分野などに力を集中させていくことが出来るようになるのだと思うのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました